私の小さな靴店

第01回 1997年度 受賞作品
入賞作品
作者名:(氏名割愛)
所属企業:靴販売店勤務

記事(紹介文)

 
 私の住んでいる町は、JR大阪環状線の京橋駅から学研都市線に乗り換えたひとつ目の駅である。距離的には都心に近いものの、快速電車の通過駅である。
 中規模なスーパーが1軒と、昔ながらの個人商店が肩を寄せ合って軒を連ねている人情豊な町だが、若者を呼ぶファッション性に乏しい。過疎化がジワジワ進んでいる。
 そんな町の駅前で、主人と私は35年間、10坪程の小さな靴店を経営してきた。
今迄ひたすら、流行の最先端の服飾に合わせて靴を選んできたが、ここ4・5年、著しくファッションの多様化が進み、私達夫婦も、若者のニーズについていけなくなって来た。
 商売の焦りと危機感のようなものを感じ始めていた。そうした或る日、顔見知りの米屋の御主人が松葉杖をつきながら、奥さんの肩により添って店に入って来られた。
 脳溢血で半身不随となり、この町の病院でリハビリに励んで、漸く、少し歩けるようになったとのことだった。病院から買い求めたリハビリ用の靴もあるが、通院用の履き易いスニーカーを求めてこられたのだ。麻痺している右足の底に、「足板」というプラスチック製の板を付け、白いゴムベルトでぐるぐる巻いてあるので、普通の靴では足を入れることすら出来ない。
 私と夫は、倉庫から履けそうな靴を次々と出して来る。奥さんは中腰になって懸命に御主人の足に靴を持っていかれるが、麻痺している足は重たく履かせにくい。御主人も履こうと努力されるが、気が焦るだけで思うように足が動かない。4人は流れる汗を拭う間もなく、麻痺した足と格闘していた。
 半時間以上経っただろうか、夥しい数の靴の山が出来上がった。それでも合う靴が無い。半ば諦めかけていた時、甲がマジック開きになっている1足に見事に足が納まった。「良かった」。4人は一斉に歓声を上げた。この事があってから、その病院でリハビリしている人々が口コミで、その靴を買いに来られるようになった。50才代の働き盛りの男の人が多いのにびっくりする。
 最近では、外反母趾といって、足の親指の付け根の骨が変形している人も多い。沢山の人がより履き良い靴を探し求めているのだ。
 靴はファッションの一部なので、見た目に楽しくウインドを飾るのも必要だが、履き良い機能性を追求していくのが私達夫婦のこれからの課題であり使命である。
「履き易かったよ」と声を掛けられる時が一番嬉しい。

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