素敵な出会い

第12回 2008年度 受賞作品
入賞作品
作者名:小倉聖子
所属企業:㈱大塚家具

記事(紹介文)


 「これと同じ椅子はありますか」。お客様との出会いは1枚の写真から始まりました。その写真には赤いベビーチェアが2脚写っていました。その椅子を見るやいなや、私どもではお取り扱いの出来ないものだとすぐに気づきましたが、〈同じものでなくとも、似ている商品をご紹介すればご満足いただける〉と過信していました。
 「全く同じものではございませんが、大変似ているお椅子がございます。」と、私が席を立つとお客様は少し不安そうな面持ちで私を見ながら無言で席をお立ちになり早足で歩かれました。私は一瞬ドキッとしたのですが、〈お時間がないのかな〉と思い、ついつい急ぎ足になってしまいました。
 お客様との会話がなかなか弾まないまま、ベビーチェアのコーナーへ到着しました。私は、一目散に写真に写っていた椅子の類似商品の前に行き、ご紹介しました。しかし、お客様の反応は、首を少し傾け、悩んでいる様子でした。その沈黙から逃れるために話題を少し変えようと、お使いになられるお子様のお歳やご兄弟がいらっしゃるのかなど、お子様について伺ってみました。はじめは一問一答と言わんばかりに、一言ずつのやり取りから、私もお子様方も〝3人兄弟〟であるという共通点を見つけ、何気ない日常の体験談で盛り上がっていきました。
 お客様もいつしか私の事を〝お店の人〟ではなく〝小倉さん〟と呼んで下さり、安心して頂けたのか笑顔を見せて下さいました。そして、お客さまの方から椅子を探している本当の意味を教えて下さったのです。「どうしても同じ椅子が欲しいの。家族みんながあの赤い椅子が好きで、3番目の子供にもお古ではなくてお兄ちゃん達と同じ椅子をプレゼントしてあげたいの」。私はハッとしました。お子様を想う親心が伝わってきたからです。また、同時にお客様の想いに気づかず、類似商品ならと決めつけてご案内していた自分自身に腹が立ち、恥ずかしい気持ちになりました。ご購入したいと思われている物にはお客様の想いがあり、やがてそれが思い出に変わるのだと気づかされました。
 「そうでしたか。下のお子様も、きっとお兄ちゃん達と同じ椅子が欲しいと思われていますよね」。私どもでは全く同じ椅子がご紹介できないことと、営業としては失格かもしれませんが、同じ椅子を取扱っている他のお店や、なによりもお子様がお古ではなく自分専用の新しい椅子が届いた時の嬉しい気持ちを私の兄弟の話も交えながらお伝えしました。すると、お客様もやはり同じ椅子を購入しようと思われたのだと思います。申し訳なさそうにそのままお帰りになりました。未成約でしたが、私はなぜかすがすがしい気持ちでした。最近は営業だからと数字にばかり気をとられ、お客様のためというよりは自分のためというのが先立っていたのです。
親身になればなる程、お客様は心を開いて下さり、本音をぶつけて下さるのだと、自己満足かもしれませんが、新鮮な気持ちでいっぱいになりました。
 しかし、その自己満足を自信に変えてくれる出来事が起きたのです。なんと、ご案内したお客様が2時間後戻ってこられたのです。「小倉さんから買いたいと思ったの」と、営業冥利につきる言葉をいただきました。私は、その場で飛び上がりたくなるほど嬉しかったのですが、それと同時に〈同じ椅子でなくてもご満足いただけるのだろうか〉と考えてしまいました。するとお客様にも私の葛藤が伝わってしまったのか、こうおっしゃったのです。「同じものではないけれど、真剣に考えてくれた小倉さんが勧めてくれるものだから…信頼してね」と。私は嬉しいというよりは、ただ驚くばかりでした。しかし、1分、10分と時間が経つごとに喜びが実感に変わりました。
 お客様がお帰りの際、椅子の入った箱をチラッと見られた後、私の方を向いて何度も会釈して下さったので、私も精一杯の感謝の気持ちを込め、お客様の姿が見えなくなるまでお見送りしました。そして、興奮冷めやらぬまま、お客様にいろいろお話できて楽しかったことや、何より感謝を込め、お手紙を送らせて頂きました。お子様の椅子ひとつなのですが、お客様の記憶に残れたことに今までに味わったことのない充足感を感じていました。
 その後、なんとお客様からも心温まる暑中お見舞いを頂いたのです。そこには、椅子をとても気に入ってお使い頂いていること、お子様の家具をご購入される時にはまた私のところに必ず来て下さるということが書かれていました。その瞬間、パッと目の前が開けたような感覚になりました。〈営業で良かった〉と素直に思うことができ、心の中でそのハガキに向かって何度もお礼を言っていました。
 この出会いを堺に、私の中で仕事に対する考え方が変わりました。ただ物を販売するというよりは、お客様の気持ちになってそのお客様に一番ピッタリな〝暮らし方〟を見つけていけたらと考えるようになりました。ただ、それも独りよがりなものではお客様に不快な思いをさせてしまいます。心地よいご案内と不快なご案内の境界線というのは実に難しいものですが、お客様に対してどのような時であっても笑顔で誠実に接していきたいと強く思います。物が溢れている混沌としている時代だからこそ、人と人とのつながり…信頼という温かい目には見えない物を大切にしていきたい。いえ、していこう。
 背筋がピンと伸びるような真っ直ぐな気持ちでいっぱいになりました。

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