年度別受賞作品
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ひとりあったかエピソード

第14回 2010年度 受賞作品
入賞作品
作者名:磯崎奈々子
所属企業:㈱虎屋 ご注文承りセンター

記事(紹介文)


 「毎度ありがとうございます…」で始まる私の接客。「いらっしゃいませ」から始まらない販売スタイル。私は店頭に立っていない。コマーシャルで見かけるようなヘッドセットを着け、電話でご注文を承る部署にいる。いわゆる無店販売だ。
 お客様と会話をしていても、目の前に生身の人間がいるわけでなく、ただパソコンの画面が無機質にあるだけ。私の手元にある物は、商品でもなければ、お釣り銭でもない。パソコンのキーボードである。
 恥ずかしい話だが、再現VTRができるくらいの「あったかエピソード」を自分は経験したことがないように思う。だけどこの部署に配属され、昔から憧れていたことのひとつを叶えて、私はひとり、あったかい気持ちになったことがある。
 私がまだ学生だった頃、私にとって先生はたった1人の特別な存在で、先生にとって私は数ある生徒の内の1人。私は、私にとって学校の先生が特別な存在であったように、家族以外で誰かの「ONE&ONLY」になりたかった。それが私の憧れのひとつだ。
 そんな私をあったかい気持ちにしてくれたのは、電話の向こう側にいるお客様。小さいことかもしれないが、「磯崎さんいる?」のお客様の一言が私をあったかい気持ちにしてくれるのだ。それは、たった数分間だけ電話越しでいつも通りの接客をしているお客様。けれど、複数いるオペレーターの中から、自分を指名してくださるのだ。自分が不在の日は、「じゃあ、急ぎではないから後日出勤したら電話くれるよう伝えて」と、自分からの折り返し電話が必要だという引継ぎを受けた際、ふと自分はそのお客様の「ONE&ONLY」になれたのではと都合のいい勘違いをし、ひとりあったかい気持ちになれる。
 本音を言ってしまうと、当初は電話での接客で店頭同様にお客様との繋がりを期待できなかった。ところが、実際は店頭以上にお客様との繋がりを強く感じることが多かったのだ。例えば、同じ苗字のお客様を偶然接客し、お互いに親近感が湧いて会話が弾んだことがあった。
 それから2年くらい経ったある日、「磯崎さんあてに電話が入っています」との声。電話を代わると、同じ苗字で会話が弾んだあのお客様からの電話だったのだ。何年か経った後でも、自分のことを覚えていてくださり、指名してくださったのだ。苗字が同じだっただけのことかもしれないが、電話越しに繋がりを感じてあったかい気持ちになれた。
 また、広島より年配の女性からご注文をいただいた際、会話の最後に「今はカキが美味しいから、あなたに送ってやろうか」と、おっしゃっていただいたこともあった。その時、自分が電話で取り寄せ注文をした時に、オペレーターに何か贈り物をしようと思ったことがあっただろうかと思い返した。しかし私は一度もそう思ったことがなく、担当者の名前すら覚えようともしていなかった。そう思うと、私は販売員として幸せ者だ。
 実際に顔が見られなくて、電話の会話だけでも、一方通行ではない。お互いの気持ちをきちんと往復させることができると改めて感じ、あったかい気持ちになれるのだ。ひとりだけではあったかい気持ちにはなかなかなれないと感じる。

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