年度別受賞作品
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掃除のおばちゃん

第17回 2013年度 受賞作品
入賞作品
作者名:  伴野冬紀
所属企業:  ㈱玉屋  清水店

記事(紹介文)

 地元から遠く離れて、もう1年が経った。
静岡という場所は、自分が想像していたよりずっと自然に囲まれた町だった。
3月だというのにまだ寒く、夜になると白く染まる息がその寒さを表していた。
 私が働くその場所は新しく開通した新東名のパーキングエリアの中にあった。2012年4月にオープン、しばらくは忙しい日々が続き、正直この頃のことはあまり覚えていない。当然職場にしか知り合いのいない私は、休みの日なにをすればいいかわからず気付けばお店にいるような日が続いた。
 そんなことを続けながら、7月に入り外もだいぶ暑くなった。山の上にあるそのパーキングエリアは街中よりも何倍も暑かった。この時期になるとオープン景気も落ち着き、パーキングエリア全体にゆったりとした時間が流れるようになり、施設で働く多くの人と会話を交わす機会が増え始めた。
 その中の一人に、施設の敷地内を掃除してくれるクリーンスタッフさんでいつもニコニコしながら汗を流し、今にも歌いだしそうな明るい雰囲気をまとったおばちゃんがいた。
 倉庫が化粧室の近くにあった為、顔を合わす回数はおそらく私が一番多かったと思う。それでも、オープンして4ヶ月が経ったこの時まで挨拶以外の「会話」をかわしたことがなかった。そんな暑いある日、私が倉庫の中で一人検品をしていると通路の向こうから鼻歌が聞こえてきた。しばらく黙って検品を続けていた私だったが、倉庫から通路に出たところで初めてそのおばちゃんに話しかけた。
 「お疲れ様です。こんなに暑いのにいつもご苦労様です。いつも綺麗にしてくれてありがとうございます。」おばちゃんは私が倉庫の中にいたことに驚いたのか、目を丸くしてこちらを向いた。「あら、恥ずかしいとこを見られちゃった。」顔を赤くしながら、控えめにそう言ったおばちゃんとそのまま5分くらい会話を交わした。私と会話をしている間中、おばちゃんのにこにこが消えることはなかった。
 それからは、顔を合わせれば今日の夕飯はどうしよう。明日は大雨らしい。など他愛もない会話をするようになった。おばちゃんはやっぱりいつもにこにこしながら私と話してくれた。そして8月。お盆はオープン当初のような忙しさだった。忙しいとあまりゆっくり作業をする時間もなく、最近おばちゃんと話していないな。そう思ったときには9月になろうとしていた。
 9月に入りお客様の数も減り、またゆっくりとした日々が続いた。あの日も私はいつものように倉庫の中で検品をしていた。すると後ろから声をかけられた。「店長さん」私のことを名前でなくこの呼び方をする人は、この施設ではあの人しかいなかった。久しぶりだなと思いながら振り返った私はびっくりした。久しぶりに見たおばちゃんはなんだか元気がなく目を真っ赤にしてそこに立っていた。なにかあったことは間違いなかったが、その場所は他のスタッフの行き来が激しくそのままそこで話を続ければ間違いなくおばちゃんの目から涙がこぼれると思った。そこでは軽い挨拶と久し振りの会話を少しだけした。話は今度誰もいないところで聞こう。そう思っていた。
 私は、検品も終わり店に戻ることを伝えるとおばちゃんは私に向かって「ありがとう」と言った。その「ありがとう」の意味が分かったのはその日の夜だった。別のクリーンスタッフさんからそのおばちゃんが体を悪くしていたこと。その日が最後の出勤だったこと。そしていつも私のことを楽しそうに他のクリーンスタッフさんに話してくれていたことを聞いた。
 おばちゃんはわざわざ私に「ありがとう」を伝えに来てくれたのだ。暑くても、大荒れの天気でも、いつも笑顔を絶やさず施設を綺麗にしてくれたおばちゃん。もちろん私だけでなくこの施設で働く全ての人が感謝していた。それを伝えられなかった。
 おばちゃんに一度でも、まっすぐに感謝の気持ちを表したことがあったか。おばちゃんが一度でも弱音を吐いたことがあったか。どちらも一度もなかった。おばちゃんになにも返せなかった。
 そして、10月になる頃夕飯の買物をしようとスーパーに向かい駐車場から降りたところで、いきなり肩をたたかれ私は振り向いた。そこにはあのおばちゃんが立っていた。
 「久しぶりね。元気だった?」おばちゃんは言った。体調はまだ本調子ではないようだったし、なんだか少しやせた気がした。そこでしばらく会話をした後、もう行くわねとおばちゃんが言った。私はそんなおばちゃんを呼びとめた。そしてまっすぐにおばちゃんの目を見て「いつも有難うございます。今でもあそこは綺麗なままですよ。本当にお疲れ様でした。」そう伝えると、やっぱりおばちゃんの目から涙がこぼれた。しかし涙の下にはあのにこにこした笑顔があった。
おばちゃんが早く元気になりますように、本気でそう思った。

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