マイナスからのスタート

第18回 2014年度 受賞作品
入賞作品
作者名:  深澤絵美
所属企業: ㈱ドンク

記事(紹介文)

 落ち着いたら、辞めるって言おう…。
オープンを迎えたパン屋の初日。「これから頑張ろう!」「いろいろな人に喜んでもらえると良いね!」明日に向かって良いスタートを切ったなか、「私には無理」と臆病風を吹かせた私は、ひとり明後日の方を向いていた。たくさん失敗をして、お客様を怒らせてしまったからだ。
 私はお客様と関わらない方がいいかもしれない。そう思った矢先、一人のお爺さんが目にとまった。食パンの前でずっと思案顔で腕を組み、何やら真剣に悩んでいる様子。
 その時、ピーンときた。今までのお客様の中にも、パンの種類が豊富でどれを購入すれば良いのか迷っている方が多くいらっしゃった。私でも役にたてるかもしれない。 
 驚かせないように気をつけて、「何かお探しですか?」と声をかけた。すると、その方は眉間に皺を寄せて数秒ほど私を睨みつけると、無言で帰ってしまわれた。何が不快にさせてしまったのか見当がつかず、原因が全く分からない自分に呆れ、後悔で心がいっぱいになった。
明日、辞めるって言おう…。
 完全に自信を無くした翌日、食パンの前で悩んでいるお婆さんがいた。困り顔で首を左右に振りながら食パンを見比べている姿に、昨日の光景が頭をよぎった。
 余計なことはしない方が良い。通り過ぎようとするも、体は勝手に動いて「何かお探しですか?」と声をかけていた。しまった。冷や汗をかく私に、お婆さんは安堵した様子で「声をかけてくれてありがとう」と笑った。
 二人で悩み、購入する食パンが決まった。「夫に相談する」と言ってお店を出たお婆さんが向かう先には、昨日のお爺さんが立っていた。その方は私に軽く会釈をすると、すぐそっぽを向いてしまった。こちらに戻ってきたお婆さんは、「あの人、人見知りなの。ここなら困ってる時ちゃんと気づいて声をかけてくれるからいいぞ、って連れてきてくれたのよ」と優しく笑って話してくれた。
「ここのパンは幸せね。職人さんが丹精込めて作ったパンを、ちゃんと店員さんが私たちに届けてくれるんだから」
「まるでリレーみたいですね」
相槌を打つと、お婆さんは
「なら、パンがバトンね!」
と頷いた。
 お店全体が一つのチームで、パンがバトンで、製造から譲り受けたバトンをアンカーの販売がお客様に手渡す。走者が転んでしまったら、バトンは何処にも届かない。
「これからも頑張ってね」
 この言葉に、ようやく私もスタートを切れたような気がした。
 あれから半年。今でも失敗をしてお客様を怒らせてしまったり、迷惑をかけてしまったり…。落ち込むこともしょっちゅうで、歩みを止めたくなる時もある。けれど、パンを食べる人だけではなく、売る人や作る人、パンに関る人たちがみんな幸せな気持ちになれる、そんなゴールに向かって今も走り続けている。

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