年度別受賞作品
退職や転居等により氏名公表許諾未確認の方のお名前は割愛させていただきました。
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「誠実」の原点

第18回 2014年度 受賞作品
入賞作品
作者名:  宮田はるか
所属企業: ㈱イワキ

記事(紹介文)

 そのお客様は、心を閉ざした方だった。
 車椅子で入店され、怒ったような顔で傍にいるスタッフを睨み、取り付く島もない様子。
 「いらっしゃいませ」という呼びかけにも露骨に嫌な顔をされてしまい、まだメガネ屋になりたてで押しの弱い性格の私は、店の隅っこにビュン!っと退いた。そこでも、遠巻きに様子を眺めていると、どうやら何かを探されているようだ。
 そ~っと近づいて、ゆ~っくり時間をかけてお話しいただくと、ポツポツと言葉が多くなり、目線から険が取れ、小さな声で話して下さるようになった。
 「フレームは大きい方が…」
 「目元を隠したいの。だからレンズの色は濃くしたいの」
 「今度親戚の集まりがあるからそれまでには…」
 言葉を繋ぎながらなんとかご希望をお伺いし、結局3時間ほどお話させていただいただろうか。その結果、高額商品である金枠のフレームをお求めいただいたのである。まだ経験の乏しかった私には大きな出来事で、仕上がりを楽しみに待っていた。
 そして、一週間後。届いたレンズを見て青ざめた。出来上がりのレンズの色が指定よりも薄くできている気がする。う~ん、これではご希望にはかなわないかもしれない…。しかし、作り直しをしたらお客様のご用事に間に合わない。
 せっかく喜んで下さったのに、本当に申し訳ない…。仮納品にさせていただいても、何度もご来店いただくのは大変だろうな。このままキャンセルになってしまったらどうしよう…。
 考えた末、かなりの緊張の中でお客様に電話をかけた。正直に色味が薄く仕上がってしまったことを伝え、納期の延長をお願いしようとすると、まず、今の色を確認しに一度ご来店下さることになった。
 そして数日後、ご来店になったお客様を前に、私は何度も謝り続けた。しっかりと商品を確認されるお客様。沈黙に押しつぶされそうになりながらも、なんとか作り直しの許可をいただくことができた。〝申し訳ない〟の一心で、ただペコペコとお辞儀を繰り返し、下を向く私。するとお客様は、鞄からゆっくり何かを取り出し始めた。現れたのは、鎖の部分がからまってしまったダイヤのネックレス。
 「目が悪くてほどけないの。ほどいてくれる?」
 その鎖をゆっくり手でほぐしていると、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
 「…あっ、ほどけました!」
 手を大きく上にあげて正面を見ると、とても優しく私を見るお客様の顔。つられて私も笑ってしまう。するとお客様は、穏やかな顔のまま頷いてこうおっしゃった。
 「一生懸命やってくれて、ありがとう」
 私の緊張をほどいてくださったお客様の優しさが、心に沁みてゆくような時間だった。
 そのお客様がお帰りになった後、先輩がこんなことを話してくれた。「もちろん、お客様の大切なお金と時間を頂戴しているのだから、失敗はよくないんだけどね。上手くいかないことはある。間違えてしまったことは、正直に、誠実に話せば解かって下さることもある。でも、嘘をついたりごまかしたりしたことは、絶対に許してくれないんだよ」
 お客様と接する。ただそれだけのことだけれど、本当に難しいと思う。今も毎日そう思う。お客様の心には目には見えない扉みたいなものがあって、それはほんのささいな一言、仕草などでもあっという間に風向きが変ってしまう。その動きに寄り添うためには時間がかかることもあるし、正解と呼べるものはない。
 でも、その扉の中にしか、本当に欲しい商品はない。もしもそのドアに合うカギのひとつが「誠実」という言葉なのだとしたら、私はこれからもその言葉を心の真ん中に置いて、仕事をしていきたいと思う。あの時ゆっくりと心の扉を開けてくれたお客様の優しさは、今でも私の「誠実」の原点である。

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