人生の励みの一着

第02回 1998年度 受賞作品
入賞作品
作者名:(氏名割愛)
所属企業:紳士服販売店勤務

記事(紹介文)

 
 販売の仕事は時として感動的なこともあり、その感動を多く体験できる人ほど、豊かな人生を送っていると言えるのかもしれません。
 私にもたった一度ですが、思わず涙を流してしまった経験がありました。私は、現在、誂え紳士服の会社で販売に従事しています。そのお客様は、現場で働いていらっしゃる方らしく、いつも制服でお越しになられ、会社でお使いになられる「お仕立券付きワイシャツ地」を何度かご用命いただいた方でした。
 その方が、ある時ご夫婦でご来店になられ、ご自身のためにお洋服をご注文になられたのでした。ご夫婦で楽しそうにご相談されながらのご注文に、ささやかながらお手伝いさせていただきました。が、失礼ながら驚いたことに、初めてのご注文でいきなり、年に一度出るかどうかという高額品のお誂えスーツに決まってしまいました。しかも、商品券やギフトカードでのお支払いではなく、個人のクレジットカードによるお支払いで、その日にお支払いも完了しました。1週間後、順調に仮縫いを終え、更に3週間後、お洋服ができあがりました。そして、いよいよご納品の日には、お二人揃ってご来店し、ご試着後、にっこり笑って「素敵な洋服をありがとう。前々から一度でいいからこちらで洋服を誂えたいと思っていたんだ。やっとその願いが叶ったよ」と。
 そして、その数日後、突然のご来店でした。職場の同僚の方お二人とご一緒に、お昼過ぎでしたがお酒で上気され、本当にご機嫌なご様子でお越しになられました。そして、「どうや、似合ってるやろ」と自慢げに胸を張って見せびらかされました。そして「今日、定年退職やったんや。職場の皆がお祝いしてくれるって言うから、今日の日のためにこの服を誂えたんや」と少々目頭を熱くされながらも大層うれしそうに言われ、店にいた我々に定年退職を記念して作られたオリジナル・プリペイドカードを1枚ずつ手渡されたのでした。
 そのうれしそうなご様子を目の当たりにして、定年退職というひとつの区切りまで仕事を全うされ、やり遂げられた満足感と充実感、そして、いかに私どもの洋服に袖を通すことを夢見ておられたのかが、お顔の表情のみならず体全体からしみ出て、ひしひしと伝わって来ました。
 それは、私の心の琴線に触れた感動的な瞬間でした。このお客様にとってこの一着の洋服がいかに仕事や人生において励みになったのか、それを思うと、どういうわけか私まで涙してしまいました。今まで仕事を通じてこれほど感動したことはありませんでしたし、これ程一着の洋服の重みを感じたことはありませんでした。何か大変貴重な体験をした思いです。お客様が帰られた後、さっそく改めてお礼の手紙をしたためたのは言うまでもありません。そして、いただいたプリペイドカードは今でも大切に手元にあります。

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