思い出のお客様

第03回 1999年度 受賞作品
入賞作品
作者名:(氏名割愛)
所属企業:和菓子販売店勤務

記事(紹介文)

 
 入社して20年が瞬く間に過ぎました。東京から名古屋に着任した11年前以降のお話しです。
右も左もわからず、知人もいない地で、本当に寂しくつらい戦いでした。地元意識の強い土地柄、当地での知名度の薄さに驚き、なんとかして固定客を増やそうと努力し続けた6年間でした。そんな環境の中、私の励みと元気の源となったのが徐々に増えていくお得意様でした。その中でも、月に数回、足をお運びくださったお客様方を今も忘れる事ができません。
 M様は、りっぱなかっぷくの紳士。いつも店の前を素通りしようとなさいます。そこへ私が「こんにちは」とお声をかけます。「やあ、店長に見つかっては仕方がない。いつもの最中10個ね」など、何げない会話の積み重ねでしたが、私にとっては、〈また必ず見つけてみせます!〉といった感じの楽しみとなっておりました。
 B様は、瀬戸内寂聴にメガネをつけてひとまわり小柄にし、お年を重ねた感じの尼僧様です。世間話や身の上話をすることが多くなり、ある時から「庭で取れるミョウガが食べきれないから……」と、お持ちくださるようになりました。店先にミョウガが出始める夏の頃、あの温和な笑顔と、互いの昔話に涙した日の事が思い出されます。
 N様は、口数の少ない中にも、いつも笑顔でお越しくださるご隠居様と申しましょうか。「店長に会えるのが楽しみなんだよ」と言ってご来店くださいます。6年後に、一度東京へ戻り、再び名古屋にもどってきた2年後、他の売店に立っておりますと、突然、お一人でお越しくださいました。見るからに体調がすぐれず、歩くのもつらそうでした。私が名古屋に戻ってきたのを耳にされ、入院中なのに、抜け出してこられたご様子。あまりに小さくなられたお姿に、涙を必至にこらえてお話しいたしました。私の手元に、お元気だった頃、〈どうしても〉と置いていかれた直筆の色紙がございます。「青梅をかりかり生国のあり」と書かれたそれを、梅の花が終わる頃に思い出し、壁に掛けて眺めるのがここ数年の行事となりました。
 T様は、近くの会社にお勤めの方で、細身の見るからにお優しい風ぼうで、口数は少ないものの、いつもニコニコして干菓子を抹茶のお伴にお買い上げくださいます。私が離席していたりしますと、次のご来店の時に「店長がいないと寂しいね。損した気分だよ」と言ってくださいます。
 ある年の6月、お中元前のごあいさつにうかがいますと、寝間着姿で出てこられました。体調がすぐれず、「最期に店長に会えてうれしかったよ」と、大変弱気なお言葉でした。「何をおっしゃいますか。まだまだお元気でお菓子を買いに来ていただかなければ……」と、涙をこらえてお別れしたのが最期となってしまいました。ご遺族の方から、「故人が愛した品物を引出物に」とのご注文があり、その折、みな様が、「故人は、あなたに会うのが楽しみだったようで、本当にありがとう」と、言ってくださいました。悲しみの中に、うれしさと、もっとお役に立てたのではないかと言う後悔と、もっともっとお役に立ちたかったという無念とが涙と一緒に湧きあがってきました。
 このようにお客様は、言葉も知識も未熟な私を好印象で受け止めてくださいました。ケースを境にして行われる接客ですが、境を取り払った〈人と人とのふれあいの場〉であって欲しいと思います。そう思わせてくださったのは、お客様方で、それはとりもなおさず、私が販売にこだわり続けるゆえんです。私の目標とする販売員とは、お客様と目線を同じにして、立ち向かうでもなく、追従するでもなく、寄り添って助言できる人です。

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