とっておきのパン屋さん

第04回 2000年度 受賞作品
入賞作品
作者名:星野 泉
所属企業:一般

記事(紹介文)

 
 その日は月曜日で、また1週間が始まるのか、という重い心持ちで、私はクライアント先に向かって歩いていた。情けないことに、いつも月曜日はこうなのだ。あるベーカリーの前を通りかかると、香ばしいパンのいい香りが鼻をくすぐる。美味しそうな香りに誘われてお店の方にふと視線をやると、テラスで水をやっている感じのいい白人のおじさんと眼があった。青い瞳にドキドキしている私に向かって彼は「オハヨウゴザイマス、マドモアゼル」と笑顔で朝の挨拶を投げかけてくれたのだ!
 びっくりするやら嬉しいやらで愛想笑いしかできずにその場を去ってしまったのだが、それからの私の気分の良さといったらない。「マドモアゼル」などと言われたものだから、まるで自分がパリのリセエンヌにでもなったような気分になり、その後の仕事の面倒くさいコミュニケーションや事務的なやりとりすべてを楽しく運ばせてくれたのだ。
 仕事が終わると私の足は自然とあのお店に向かって歩いていた。店内に入ると雰囲気は良く、いろんな種類のパンがずらりと顔を並べている。何にしようか迷っていると、お客様と片言の日本語で一生懸命に接している外国人がいる。〈さっきのおじさんだ!〉 彼はいかにもパン職人といった白衣姿でパンの美味しい食べ方(どんなチーズに合うのかまで)や保存方法などについてお客さんの質問に丁寧に受け答えしている。それから彼は混んできた店内を察してかレジの女の子の傍らで包装を手伝いはじめ、買っていくお客さんすべてに「アリガトウゴザイマシタ、マドモアゼル」「アリガトウゴザイマス、ムッシュ」と素敵な笑顔をふりまいていた。
 昼食にそのお店で買ったベーグルサンドはとても美味しかった。美味しさを堪能しながら私は思ったのだ。お金を払って何かを買う以上、人は金銭的な代償になるだけの価値を求める。しかしいくら価値あるものを購入したとしても、店員さんが不親切だったり態度がごうまんだったらどうだろう? 私ならそんなお店に2度と行かない。
 あのベーカリーのパンは、とても美味しくて価格も良心的。しかもあのおじさんのおかげでとても気持ちが豊かになった。自分が作ったパンへの愛情とそれを買ってくれる人への感謝の気持ち― それを「サービス」という言葉で片付けてしまうのはあまりにも物足りないが、自分が精魂込めて作ったパンが美味しく食べてもらうには〈ただ売るだけじゃダメ、それにプラスしたサービス心がないといけない〉という基本姿勢を、彼はお店に反映させているのだ。つまり物質的な豊かさだけでなく、心の豊かさも売るということを。
 もちろんおじさんはそんなことを常日頃意識してパンを焼いて売っているのではなく、あのサービスと笑顔は彼の人柄以上の何ものでもない。だって通りすがりのいちOLにあいさつしてくれる素敵な人なのだから。

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