ラジオで聴いたあの曲は？

第05回　2001年度受賞作品
入賞作品
作者名：小笠原伊津子
所属企業：㈱新星堂春日部店

記事（紹介文）

　
　今思えば、私の販売物語は小学生の頃から始まっていました。当時、私の家は下町で豆腐店を営んでおり、父が配達に出ている間、祖母と２人でよく店番をしたものです。見よう見まねで豆腐を容器に入れ、お客様に渡す。豆腐を壊さないように、お釣銭を間違えないようにと大変緊張したことを今でもハッキリ覚えています。
　その初めての接客から月日はたち、色々な販売を経験して、今は大好きな「音楽」を扱うＣＤショップで働いています。毎日本当にたくさんのお客様が「音楽」を求めてご来店されます。そんな中でもとりわけ、自分の好きなジャンルをお客様にお勧めする時は、とても楽しく、意見が合った時はさらに幸せな気分になります。
　そんな幸せな気分にして下さったお客様とのエピソードをご紹介します。
　その方たちは、最近お店に来られるようになった５０代のご夫婦で、いつもお二人でご来店されます。ご主人はパジャマを着てサンダルを履き、奥様に支えられながらつえをついています。縁あって、私が接客をすることになりました。お話をしてみると、奥様はチャキチャキの大阪人といった感じで、とても歯切れ良く話されます。
　ご主人は病気で入院中なのですが、どうしても欲しいＣＤがあるのでタクシーでお店に来られたということでした。「どのような曲をお探しでしょうか？」とお尋ねすると、奥様が「朝からなんやペーぺー、ペーぺー、言うとんねん」とのお答え。それと１枚のメモには「ぺ～」と書いてありましたが、「ペ」の後の文字が何なのかは解読できません。３人共しばし沈黙…。
「ペ～」と書かれたのは、ご主人の方なのですが、言葉とペンを持つ力が不自由なご様子。「ペ…、ペ…？　ペ…ナントカ？」ペの付くアーティストを色々思い浮かべる。思い付く限りのＣＤをお持ちしてご主人にお見せする。まるでイソップ童話の「金の斧、銀の斧」のお話のようにですが、すべて首を横に振られてしまいました。さらに悩む…。
　そこへ奥様が、「ラジオで聞いたんやて」。ラジオと聞いてピンと来ました。そのころは、ラテンブームだったこともあり、最近ラジオでかかっている「ペ」といえば、「ペレス・プラードでしょうか」。名前を聞いた途端にご主人の表情がパッと明るくなりほおに紅が差す。そして、うれしそうにうなずかれる。
　私はペレス・プラードのコーナーから、あるだけのＣＤをお持ちして、ご主人の手元に置きました。ご主人はその中の１枚のＣＤを手に取られ、大きくうなずき、満面の笑み！　とてもうれしい瞬間でした。「ほんま、ありがとねー」奥様も、ご主人のうれしそうな顔をご覧になり、とてもうれしそうでした。「今度また、わからないのがあったらお姉さんのとこに来るわ」。いえいえ、こんなに幸せな気分にしていただいて、お礼を言いたいのはこちらです、と言いたい気分でした。奥様が言われた通り、それからも何度かご来店下さっています。二度目からは、入ってくるなり笑顔です。
　毎日の慌ただしい生活の中で、こんな温かい出会いが幾つかあります。それは小さい子の笑顔だったり、おばあちゃんの喜ぶ顔だったり。その度に、私の心もホッと一息。私が幸せにしていただいている分、お客様に、ちょっとでも幸せな気分で帰路に着いていただきたいな…と思う今日この頃です。

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