年度別受賞作品
退職や転居等により氏名公表許諾未確認の方のお名前は割愛させていただきました。
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大切なもの

第08回 2004年度 受賞作品
優秀賞作品
作者名:小林泰幸
所属企業:㈱ザ・クロックハウス 苗穂店

記事(紹介文)

 
 ある日、中年のご夫婦が目覚まし時計の修理を持ってこられました。
 私はお客様に、時計が古いので修理できないかもしれないこと、直ったとしても修理代の方が高くなるので買い替えたほうがいいことを説明しました。正直言うと、私はその時、もう買い替えればいいのに思っていました。だからお客様にも買い替えられたほうがいいですよ、という感じで話をしたのです。
 お客様は、「あ、ここもだめか」という顔をしました。事情を聞いてみると、「実は・・・」と話してくれたのが次のような内容でした。子供を何年も前に事故で亡くしてしまったが、この時計はその子が使っていたもの。亡くなってからも動いていたが、いよいよ動かなくなってしまった。直らないものだろうかと考え、時計屋さんに持っていったが、どこでも修理するより買ったほうがいいと言われた。私たちにとってはとても大切なものなので、買い替えればいいというものではない。どこに行っても同じことを言われるので、やはり直すことは無理なのだろうか…と。
 私はこの時、自分が恥ずかしくてなりませんでした。お客様の品物に勝手に価値をつけ、自分の都合で接客をしていたのです。お客様あってこその接客業であるはずなのに、一番大切なことを見失っていたことに気付きました。私はお客様に、まず修理に出してみましょうと言いました。お客様は、「少しでも可能性があるなら」と、時計を預けて帰られました。
 数週間後、時計が戻ってきました。お客様に連絡すると、お礼を言われ、「これから伺います」と言って電話を切られました。私はできる限り最良の状態でお返ししたいと思い、丁寧に拭いていました。その時、時計に線が入っているのに気がつきました。よく見てみるとケースの裏側に亀裂が入っていたのです。私は愕然としました。預かる時に傷はついていなかったので、お預かりしてから傷が入ってしまったのです。ずるい考えが頭をよぎりました。黙っていればお客様は気付かないだろう。何も言わずにお渡しすれば…。いろいろ考え、どうしていいかわからなくなっていた時、お客様が来店されました。
 その時、すっと気持ちが楽になりました。自分はすでにこのお客様に対して大変失礼なことをしている、正直に話すことがお客様に示せる誠意だろう、と思いました。私はお客様に事情を説明し、お詫びして、自分ができることを伝えました。お客様は、気付かない様子でしたが、傷をなぞると、「あっ」と小さい声をあげられました。少し考え込まれた後、「傷がついたのは残念だけど、ちゃんと動くようになって戻ってきた。それで十分です。このまま持って帰ります。ありがとうございました」と言い、最後にもう一度、お礼を言って帰られました。
 このことは、私の接客経験の中で深く印象に残っています。私たちは商品だけではなく、お客様の気持ちや想いを扱う仕事をしているんだと実感しました。あの時は言えませんでしたが、「こちらこそ貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございました」と、あのお客様に言いたいです。あの時に感じた気持ちを忘れずに、これからも仕事をしていきたいと思います。

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